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自分の中で、「自分は予知出来る」という事を知っている。
アメリカのテロ、スマトラ沖の大地震による津波被害。友達の6ヶ月後に起こる事。その人の妹に起こる病気。
ある人の知るはず無い30分前に起こった事を、ストレートに言ってしまう事。
数えきればキリがないほど、人に予知をしている。何故自分はこんな事が出来るのだろうか?
論理的な説明では、絶対解決しない事も私は充分解っている。
「未来はこれから起こりえる無数の可能性を秘めている」とよく言うが、これは私は受け入れられない。
無限の可能性があるのなら、予知する事なんか到底出来ないはず。
ほうきをモデルにして考えたら、持つ所が過去として毛羽立った毛先の所が未来とする。
毛羽立った所をまとめて縛っている所が、今とする。過去は一本道だった、今も一本道、でもすぐ未来は無数に別れている。
未来はどの方向にも無数に伸びている。スタートは同じでも、一瞬先未来には無限に選択肢がある。
たとえば、今交差点を右に行くのと左に行くのでは未来が変わる。
右に行ったから、交通事故に会わなかったかもしれない。左に行ったから、交通事故に会わなかったかもしれない。
結果として、日々の生活をしているだけかもしれない。でも予知とは、その起こりえる未来の事故を言う。
まだ起きていない、起こる要素がない過去に起こりえる未来の事故の事を言う。
予知とは避ける事の出来ない確たる未来の出来事を、まだ起こる要素がない時に言う事だと言える。
と言う事は未来も過去と同じで、すでに結果としての未来があり、その結果を起こりえる前に伝える事となる。
こんな事があった。
ある人に「近いうちに、仕事で車から降りる時にけがをする。それもトラックの荷台から降りる時。
そして左足を怪我する。いつかは解らないけど近いうちにそうなる気がする。」
その人は「気をつけとこ」と言っただけでその事をすっかり忘れていた。
そして二週間後、仕事でトラックの荷台の上に上がり降りる時に滑って下に落ち左足を骨折した。
その日の内の電話がかかり、左足を骨折した事を私に伝えた。
その人にはもう一つある。
例のごとくその人をみて感じた事をストレートに言った。
「斜面の現場で小さな建設機器が斜めになり、運転手は怪我をしないがトラブルがある。
雪が降っている夕方で、重機の明かりの中でそれが起きる。人に怪我はないから、安心して。」
その人は近々そんな斜面の現場はないとの事。何となく安心していた。
それから暫くして、道路の側溝工事の時小さな重機が二台側溝にはまって立ち往生。
その結果、その横の二軒の家の軒先を壊してしまった。運転手は怪我がなかった。
やはり、12月の雪の降る夕方5時頃の事でした。
予知する事はいい事だろうか?これは誰も答えが出ないだろう?
求めていない予知を言う事は罪悪だろうか?一時、この事で悩んだ事がある。
でも言ってしまう自分がいる事も否定できない。何故言ってしまうのだろう?
言う事で、未来を作っている事もある。言いたくないと思う事はない。
これは独りよがりの優越感なんだろうか?人と違うという事が自分の優越感?
と言って、宝くじが当たるような予知は出来ない。この間確かめたら見事に外れた。
何故当たらないのだろう?それは自分の中に「こんな事に使うのは駄目」という意識があるからだと思う。
「自分が自分を信じられない」と言う事もそれなりにある。その結果として当たらないのじゃないかな?
これは理性と倫理で、その力の及ぶのを自分で制御しているんだろう。
中々もったいない話である。うん!
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