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今日、お寺の老住職が来た。私はそこの門徒。息子の嫁との確執を延々と話していた。
息子は人と絡む事が苦手な人。嫁は大阪の人で、遅くから嫁いで来て、そして双子が生まれた。
老住職は霊感を持った人。以前、妻の法要の時に私の心を読み妻の意識を感じてある事をしてくれた。
その事で私はその人を尊敬し、霊的な事柄に対しての捉え方を少し享受させてもらった。
今日その人と話しをしていたが、老住職もやはり一人の人間という事をマザマザと感じた。
自分の中での霊能者と言う存在は、人の心の奥を見詰め霊と対話しその対象にカルマを教える。
その中で自分の存在意味を把握し、生きている目的を理解し、見えない世界を伝える。
以前、私は「霊能者は人格者じゃなかったらいけないのか?」と言うタイトルで自分のHPに書いた事がある。
霊能者だからって、全て万能じゃない。怒りも喜びも惰性もある。そして悲しみも。
その事を書き綴った事が有る。それと同じ事を老住職は必死に私に言っていた。
私は老住職に言った。「最終的にはその嫁さんが因果報向として、人を苦しめた分だけ苦しむ事になるでしょうね。」と。
それしか私は言えなかった。私自身も人格者でもなく優れた人間でもない。
迷い、考え、行動したり行動しなかったり。。
決してその老住職を非難する事は出来ない。自分と立場が違うのだから。そうしか言えなかった。
老住職の妻は痴呆が少し進んで、玄関で怪我をして今入院中。二人とももう78歳だと言う。
人は誰でも年老いる。霊能者もそうじゃない人も。霊能者にも痴呆も出てくるだろう。。
その時霊能者は、どう言う世界に住んでいるのだろうか?
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